天野康景略年表

本宿村領主であった天野康景公に関する年表です

天文 6年(1537) 天野景隆の子として三河の国で誕生する。
天文16年(1547)  徳川家康が人質として今川家に移るときに小姓として従うが、家康は尾張へ。
天文18年(1549) 家康が人質として今川家に移るときに従う。
永禄 6年(1563) 三河一向一揆において功を上げ、三河国東城を賜る。
永禄 8年(1565) 奉行職となる。
永禄12年(1569) 遠江国天方の役に首級を得て、創を受ける。
元亀 元年(1570) 姉川の戦いに参戦し、徳川家康の馬前の敵を討ち取る。
元亀 3年(1572) 三方ヶ原の戦いにおいて功を上げ、三河国渥美郡の200貫文余の地を賜る。
天正 3年(1575) 武田勝頼が兵を率いて遠江国小山に陣を張った時、瀧沢の砦を守る。
天正10年(1582)

本能寺の変において織田信長が亡くなったことを聞き、徳川家康が堺から伊賀路を経て岡崎に帰る際、兜を預かり野伏などを追散する。

天正11年(1583) 駿河国江尻の城代となる。
天正12年(1584) 小牧長久手の戦いに従う。
天正14年(1586) 伊賀忍者衆の統率を任される。
天正14年(1586)

豊臣秀吉の妹が浜松に輿入れするに際し、大阪へ行き、豊臣秀吉より高木貞宗の刀を与えられる。

天正18年(1590)

 北条征伐のとき、駿河国清見寺の旅館で豊臣秀吉を饗応し、その後小田原に逝く。

天正18年(1590)  徳川家康が関東入りしたあと、下総国香取郡大須賀領のうち3千石を賜る。
慶長 5年(1600) 関ヶ原の役において、江戸の西城の御留守居を務める。
慶長 6年(1601)

駿河国富士郡と駿東郡の内1万石を賜り、更に2万石を預かり、興国寺城主(本宿村領主)となる。

慶長 7年(1602)

封地の御朱印を下さる。これにより先御諱字を賜り「康景」と称し、奏者並びに年男の役を住す。

慶長12年(1607)

軽卒公民を殺害したことに座し、御勘気を蒙り、興国寺城を去り、西念寺に蟄居する。

慶長18年(1613)

相模国沼田の西念寺にて、77歳で没す。

寛永 5年(1628)

子康宗は許されて1000俵を与えられ旗本に列する。

【寛政重修諸家譜】より