たびたび発生した隧道の破損

黄瀬川の増水や地震による破損

本宿用水の隧道が掘られた土質は堆積土のため弱く、黄瀬川の増水や地震等で度々破損し、本宿村ではその都度資金繰りをして改修を行ってきました。

 

古文書に残る記録には

  • 元禄17年(1704)黄瀬川増水による破損
  • 宝永 5年(1708)富士山噴火による地震で破損
  • 享保19年(1734)黄瀬川増水による破損
  • 安政元年(1854)安政の大地震による大破
  • 大正12年(1923)関東大地震による大破

が発生しています。


安政の大震災による破損

安政元年(1854)の大地震では本宿用水の隧道が崩落して本宿村に水が来なくなってしましました。

 

一方、隣の竹原村では「小僧池」で多量に地下水が湧き出しましたが村境であったので竹原村では活用できずにいました。

そこで、本宿村は竹原村の了解を得て、約500mの水路をつくり本宿用水に引き込んで急難をしのぎました。

 

本宿村では小僧池から用水を引き込んだことで水量が増え、その後は安定した稲作ができました。

 

大正7年(1918)本宿区では特種東海製紙㈱の前身となった高野製紙所を誘致し、この小僧池の湧水を工業用水として使用させ水利権を譲渡しました。


関東大震災による破損と復旧

大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災では隧道の八割が崩落し通水不能となりました。

被害の甚大さに本宿区民は茫然とし、用水を確保するために、深良用水から水を分けてもらうことを近隣の村や長泉村内の関係区にお願いしましたが、箱根用水組合規定により不可能となりました。

そこで、長泉村の鈴木新作村長にお願いし、静岡県の補助を受けて復旧することが出来たと記録されています。

【工事区間:565m、総工事費:1,250円】