本宿用水へ必要な水を確保できなくなったことから、本宿村では寛文9年(1662)に本宿村字塔ヶ窪の黄瀬川に新たな堰をつくり、本宿用水の水路に接続して本宿村の下原地区と隣村である伏見村の田地を潤しました。
この堰は簡素なもので、黄瀬川の増水の度に破損や流失しましたが、その都度補修して約200百年後の安政元年(1854)まで使われました。
本宿村絵図(長泉町 髙田家文書)
この絵図の下側(西)には下原堰が描かれており位置関係が分かります。また、本宿村の農地の位置関係も知ることができます。
本宿用水が出来たことにより領主から新田開発の要請があり、本宿村では隧道出口付近(字水掛)に鎮座していた諏訪神社を移転することとなり、元和5年(1619)に領主の承諾を得て現在の地(字宮前)に遷宮しました。
この諏訪神社は長野県の諏訪大社と同じ健御名方神(タケミナカタノカミ)を祭神としており、本宿村の村社として祀られてきましたが、いつの時代に本宿村に歓請されたかは不明です。
本宿村では元和5年(1609)から新田開発が実施され水田面積が増加しています。
【水田面積の記録】
安政元年(1854)の大地震では本宿用水の隧道が崩落して本宿村に水が来なくなってしましました。
一方、隣の竹原村では小僧池(窪の湧水)で多量に地下水が湧き出しましたが村境であったので竹原村では活用できずにいました。そこで、本宿村は竹原村の了解を得て、約500mの水路をつくり本宿用水に引き込んで急難をしのぎました。
本宿村では小僧池から用水を引き込んだことで水量が増え、その後は安定した稲作ができました。
大正7年(1918)本宿区では特種東海製紙㈱の前身となった高野製紙所を誘致し、この小僧池の湧水を工業用水として使用させ水利権を譲渡しました。
大正12年9月1日発生した関東大震災では隧道の八割が崩壊し通水不能となりました。被害の甚大さに本宿区民は茫然とし、用水確保のために深良用水から水を分けてもらうことを隣接の村や長泉村内の関係区に相談しましたが、箱根用水組合規定から不可能となりました。
そこで、長泉村の「鈴木新作」村長にお願いし、静岡県の補助を受けて復旧することが出来ました。
【総工事区間:565m、総工事費:1,250円】
関東大震災による隧道損壊と復旧の記録【長泉町本宿 大川義清氏所蔵】
本宿用水の素掘り隧道は度々地震で崩落したり黄瀬川の増水で破損したりしてきたので、平成2年(1990年)と平成10年(1998年)の2期に分けてコンクリート張りのトンネルに改修しました。
この改修工事により420年間余続いた隧道損傷に対する本宿住民の苦労はほぼ皆無となりました。
隧道や水路の大掛かりな改修は不要となりましたが、毎年本宿区の全戸が出て用水路や区内の道路側溝の清掃作業を継続しています。
毎年4月第1土曜日は区役員及び本宿部農会の皆さんによる水門周辺の土砂上げ作業を行っています。
同様に4月第1日曜日は本宿区内の全戸が出て各班内の水路や道路側溝の土砂上げや清掃を行っています。
この側溝清掃の終了後は本宿公園で「さくら祭り」を行い、区民が和やかに交流しています。
