安政元年(1854)の大地震では本宿用水の隧道が崩落して本宿村に水が来なくなってしましました。
一方、隣の竹原村では「小僧池」で多量に地下水が湧き出しましたが村境であったので竹原村では活用できずにいました。
そこで、本宿村は竹原村の了解を得て、約500mの水路をつくり本宿用水に引き込んで急難をしのぎました。
本宿村では小僧池から用水を引き込んだことで水量が増え、その後は安定した稲作ができました。
大正7年(1918)本宿区では特種東海製紙㈱の前身となった高野製紙所を誘致し、この小僧池の湧水を工業用水として使用させ水利権を譲渡しました。