本宿用水の解説がある著書を紹介します。
第3章第2節「本宿村の用水事情と二つの用水懸かり」(96頁)には
「本宿村は黄瀬川の河川段丘や氾濫原に位置し、土質に富士山の噴火による多孔透水性の富士山溶岩層が関係しているため、水持ちが悪く、常に日損田の危険につきまとわれていた。したがって田地耕作にとって用水のもつ意味は重大であり、村民の死活問題でさえあった。」
とあり、本宿用水・下原用水・小僧池用水について高橋廣明氏が調査した内容が記載されています。
本宿村の用水については「慶長四年の村鑑明細書上帳に次のように記載されている」と以下の通り紹介しています。
1,用水堰(長三十八間、横二間 一か所)
黄瀬川筋字鮎壷上ニ而堰仕候、組合無御座壱村限り普請仕来り申候、然ル処沼津領十五村組合字牧堰与申大堰有之、夫より八十間下り当村堰仕候、渇水之節者右牧堰ニ而水洩様ママ切候ニ付本宿村ハ年々干損いたし難渋仕候
1,用水堀
当村用水之儀者下土狩村分より上り井口より百三十間割掘有之、夫より同村地内四百間堀抜穴ニ相成壱ヶ村限リ普請仕候、大破之節者往古より御地頭より御普請料御下ヶ被成下候、賄至ル寅ノ大地震之節右四百間掘抜穴不残崩壊御見分請御惣給様江御願申上御尊判ヲ以金弐百参拾両御下ヶ被成下、新規堀替ニ相成、当時掘抜穴四百三十間御座候
1,下原用水
是ハ当村地内ニ而字塔ヶ窪与申処より堰上ゲ、本宿村伏見村分用水相成候、然ル処去ル巳年黄瀬川筋満水ニ付及大破ニ当時其侭ニ差置申候
1,当時下原用水(小僧池用水のこと)
去ル寅大地震ニ付隣竹原村伏見村両村境より水湧出し候ニ付、久保地二而捨水二被成候二付、両村役所及掛合テ訳ママ水貰仕当時下原田水掛、尤右水年貢与して米弐俵弐斗宛両村江年々差出申候
佐々木潤之介氏は、東京大学大学院の学生時代(1954年)に、近世史研究の一環として狩野川周辺地域の史料を探していました。三島市の鳥羽山翰氏の案内で、静岡県長泉町本宿の髙田家を訪ね、朽ちかけていた藁屋根の母屋を調査したところ、いくつかの長持ちがあり、中には慶長いらいの古文書がギッシリと詰まっていました。
佐々木潤之介氏らの調査により、髙田家文書は近世の農村の事情を伝える重要史料として開示されることとなり、現在は東京大学文学部に所蔵されています。
本書は、本宿用水を含めた本宿村の農村事情を詳しく紹介しています。
本宿用水および小僧池用水を紹介しています。
本宿用水との関係等について紹介しています。
